知っているとダンスが楽しくなる! 社交ダンスの歴史を知ろう

知っているとダンスが楽しくなる! 社交ダンスの歴史を知ろう

社交ダンスという言葉はよく聞きますが、その歴史についてご存じの方は少ないと思います。既に社交ダンスをやっている人や、社交ダンスに興味がある人なら、その歴史も知っておいて損はありません。そこで、このコラムでは、社交ダンスがどこでいつ頃始まってどんな風に広まっていったのかをまとめていきます。

そもそも社交ダンスとは?

社交ダンスの歴史に触れる前に、社交ダンスとは何か、を解説しておきましょう。

「社交ダンス」は「ソーシャルダンス(social dance)」の和訳?

社交ダンスは海外から伝わったものです。日本で言う社交ダンスの語源は英語のソーシャルダンス(social dance)の和訳です。日本ではソシアルダンスという言い方もありますが、これもsocial danceの違う読み方なだけです。

ただし、英語圏でsocial danceという言葉が使われることはあまりありません。使われる場合はフォークダンスのような多人数で踊る親睦を深めるものを指し、現在日本人がイメージする社交ダンス=ペアで踊るものとは区別されています。

日本人が言う社交ダンス、ソシアルダンスは、英語圏では「ボールルームダンス」と呼ばれています。

ボールルームダンスの語源は?

ボールルームダンスという言葉は、ラテン語でボール(ball)が踊るという意味を持っていることから来ています。つまりボールルームというのは「舞踏室」という意味です。

ヨーロッパでは昔からプロのダンスを見て楽しむ文化がありました。これは劇場などで行われるものでボールルームとは言いません。ボールルームでの踊りは見て楽しむのではなく、男女ペアで自分たちが踊るものとして発展していきました。

ボールルームダンスの特徴

ボールルームダンスには「スタンダード」と「ラテンアメリカン」という区分があります。スタンダードではカップルが対面していること、一方が前進するともう一方は後ろに下がるという動きを特徴としています。ラテンアメリカンの場合は対面してホールドするだけでなく、離れる動きも積極的に取り入れています。

スタンダードの踊りとラテンアメリカンの中のいくつかは、移動しながら踊るのでムービングダンスと言われます。その移動が円滑になるように進む方向が決まっていて、これをLOD(Line of Dance)と呼びます。ラテンアメリカンのなかにはLODが決められていない種目もあります。ジルバ、ルンバ、チャチャチャなどがそれにあたり、この3種目は移動せずその場で踊ります。

ボールルームダンスの歴史

この項目ではボールルームダンスの歴史についてまとめていきます。最初に生まれたボールルームダンスはワルツと言われていますが、その始まりにも諸説ありますので、まず二つの説を解説します。

ワルツの起源の二つの説

ひとつはプロヴァンス地方(フランスの地域名)にあった「ヴォルト」という踊りが起源であるという説、他には「レントラー」という民族舞踏(オーストリアや南ドイツの踊り)が起源であるという説です。

どちらが正しいかは明確ではありませんが、いずれにしても踊ること自体は多くの場所で多くの民族が行ってきたものです。ボールルームダンスはその民族舞踏が起源となって発生したというのは自然な流れでしょう。

年代によるボールルームダンスの違い

ここからは年代別の流れを見て行きましょう。

17世紀のフランスの王、ルイ14世は芸術的なものを深く愛したことで知られています。そのルイ14世が庶民の間で踊られていた民族舞踏を宮廷にも取り入れたと言われています。

当時は宮廷で踊られたことからコートダンス(宮廷舞踏)と呼ばれていたようで、曲はヨハン・シュトラウスなどが作ったワルツや行進曲が主流だったようです。男女の距離感は現在より少し離れ気味で、上体の接触はなかったと言われています。現在は足の配置が平行であることが多いですが、当時はつま先を外側に向けていました。

18世紀になると産業革命が起こり、音楽や文化も大きく変化します。男女ペアで踊るスタイルは貴族階級の間で行われるだけでなく、民衆にも広まっていきます。その中で特に若い世代では上体の接触や抱擁も増えていきます。ただ、これがすぐに多くの人に浸透したという訳ではなく、宗教関係者や比較的年齢層が高い人からは常に批判があり、禁止されることも多かったそうです。

19世紀になっても批判の声はありましたが、イギリスのヴィクトリア女王がワルツを好んだこともあって、徐々に多くの人に認められるようになっていきます。現在でいうスタンダード種目(ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ、ヴェニーズワルツ)が定着していったのもこの時代です。また、民衆の間ではアルゼンチンタンゴやブルースも広まり、ボールルームダンスは多様化していきます。

日本にペアで踊るスタイルが文化として入ってくるのもこの時代です。江戸時代の鎖国政策が終わり、明治になると欧米文化を進んで導入しようという流れが起こります。また外交上の理由から日本人もダンスを踊ることが必要になったという背景もあることでしょう。

20世紀になるとイギリスで競技ダンスが生まれます。また、1900年代中盤にはブラジルやキューバ、アメリカの音楽が取り入れられるようになります。これがラテンアメリカンの5つの種目(チャチャチャ、サンバ、ルンバ、パソドブレ、ジャイブ)として成長し、現在の10種目が形成されていったのです。

日本では横浜の鶴見花月園にダンスホールが初めて開設され、富裕層を中心にペアのダンスが広まっていきます。第二次世界大戦中はダンスホールの閉鎖が相次ぎ、一時的には衰退しますが、敗戦と共にダンスホールは再び復活し、庶民にも親しまれていきました。

まとめ

「社交ダンス」という言葉の語源や、その元になったボールルームダンスの歴史についてまとめてきました。いろいろな歴史の流れはありますが、そもそも社交のための踊りであるという事は今も昔も変わりません。今では社交ダンスは誰もが楽しめるものになっています。興味があるけど何となく「ハードルが高い」と足が向かなかった方や、「以前はやっていたけど足が遠のいてしまった」といった方は、この機会に社交ダンスを始めてみてはいかがでしょうか?

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